■襖は平安時代から
襖の歴史は明かり障子よりも古く、もともとはひとつながりの空間を屏風などで区画して暮らしていたのが始まりです。
やがて引き違いの襖が連続する日本特有の内部空間が生まれることとなるのです。襖は、必要な時に空間を区画でき、普段は開放しておけば小さな家でも狭さを感じないで暮らすことができます。様々な装飾が施されるようになり、建築美術史上でも重要な役割を果たすこととなります。
名前の由来は平安時代の掛布団を衾(ふすま)といい、それを掛け広げ仕切に使用した所から、部屋の仕切を襖と呼ばれるようになったと言われています。
またこの頃、中国から伝来した唐紙(とうし)が使われるようになっていきました。
このことにより襖のことを「からかみ」とも呼ぶようになりました。その唐紙の上に大和絵が描かれるようになり、さらに平安時代中期以降になって、引き違いの遣戸障子(やりどしょうじ) が誕生し、間仕切りで寒さを防ぐといった目的に加えて、金箔を蒔き散らす金銀砂子細工の技法などの装飾的な要素が加わり、貴族文化に浸透していったのです。
鎌倉、室町時代になると、書院造への関心が高まり、襖障子に大和絵・水墨画などを施すようになりました。 桃山時代には、襖絵に豪華な装飾を施した障壁画や金箔をふんだんに使ったものが盛んに作られる一方で、反動的に「侘び・寂び」を重視した数奇屋造も生まれました。 室町時代には無地の布紙を張り上げたのを襖・柄物・紋のあるものを唐紙と呼んだそうです。襖障子とも呼びますが、これは明かり障子(一般的に言う障子)に対しての呼び名です。
江戸時代には町屋の住宅にも襖が広まりました。豪華なものではなく、木版雲母摺りや磨きだし、刷毛染め、揉み紙などの加飾技法が襖に使われるようになります。襖絵も豪華なものではなくで素朴なものへと変わっていきました。 明治時代になると、和洋折衷の洋室と和室が同じ家に広まっていきました。そのため、戸襖(片面が洋風で片面に襖紙が張ったもの)が使われるようになりました。 大正、昭和時代になると襖は大量生産され一般家庭への普及が定着しました。一方で襖は美術品としての役割を持たなくなっていきました。
襖の様々な技法は今日でも継承され、その伝統は生き続けています。
■近代の襖 近頃では手間のかかる下張りの工程を省略する為に、合板フラッシュや、ダンボール、発泡スチロールなどを下地にした量産襖が普及してますが、伝統的な造りの襖は本襖と呼ばれています。本襖は、木の骨組みに数回下張りを重ね仕上げとしての襖紙を上張りします。量産襖では、下地に直接襖紙をベタ張りする為に、和紙本来のふっくらとした表情が出せません。
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